[.que] インタビューBRILLIANT HOPESリリースまでを振り返る
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[.que] インタビュー
BRILLIANT HOPESリリースまでを振り返る

新作「BRILLIANT HOPES」が今年2月12日にリリースされ、現在リリースツアーを行っている[.que]。活動を始めて4年が経ち、5作目のアルバムがリリースされた今、自身のおかれている環境も目まぐるしく変化し、その変化に合わせる様に作品をリリースしてきた。活動を始めてから今までの道のりを振り返ってもらうと共に、これまでの作品について、新作で共同プロデュースを務めた小瀬村晶を交えて語ってもらった。

インタビュー・写真 : 吉村 健  テキスト:菊地 慎

[.que] / nao kakimoto

1987年生。徳島県出身、神奈川県在住の音楽家・柿本直によるソロプロジェクト[.que](キュー)。アコースティックギターを基調に、繊細なエレクトロニクス、柔らかで清涼感溢れるサウンドを奏でる。2010年より大阪で[.que]としての活動を開始。高橋幸宏氏(YMO,pupa)を審査員に迎えたFRED PERRY×MySpace 楽曲コンテスト ”FRED PERRY / WHY?”にて優秀楽曲として評価される。これまでに「sigh」「calm down」「drama」「water’s edge」4枚のアルバムを発表。2013年にSCHOLEよりリリースされた3rdアルバム「drama」はフォークトロニカの傑作として高い評価を得ている。
また企業広告、TVCM、空間演出、映像作品への楽曲提供、楽曲制作等、その活動は多岐に渡り様々なコラボレーションを行っている。2014年、活動拠点を大阪から東京へ。2015年2月、これまでの集大成となるアルバム「BRILLIANT HOPES」をリリースする。
WEBSITE : http://que-music.net

—まず、音楽を始めたきっかけを教えて頂いても良いですか?

 

小学生の頃に「ゆず」が好きで、「ゆず」になりたいなって思ってました。良く屋根裏部屋にあった親父のギターを弾いて遊んでいました。それからハーモニカを買ったり、ギター雑誌を読んで練習するようになりましたね。始めてライブに行ったのも「ゆず」でした。僕の育ちは徳島でも田舎のほうなので、街まで行かなくてはならなくて、午後の授業をサボって親に連れて行ってもらった記憶があります。

 

—小学生でギターって一般的にはあまりやっている人いないと思いますが、周りにやっている人がいたんですか?

 

いないですね。僕一人でした。歌うのが好きだったのもあって、ずっと弾いて、歌ってましたね。親父が大学の頃、ギターをやっていて、吉田拓郎さん、小田和正さん、松山千春さんとか松任谷由実さんのレコードが家にあったのを覚えてますね。その影響は少なからず受けました。

 

—中学、高校の頃はどうでしたか?

中学に入って、エレキギターを買ってもらったんです。それで友達と文化祭のためにバンドをやったりして。高校になるともう少し本格的にバンド活動をしてましたね。でも進学校だったので、そこでもやっぱり文化祭のためのバンドで。やっぱりギター雑誌を買っては弾いていた思い出がありますね。

 

—軽音部とかに入ってたのでしょうか?

 

いや、数学研究会と生徒会の会計をやっていました。

 

—ちょっと変わってますね。笑

 

部活もやりたかったんですけど、学校まで汽車で1時間半かかるし…

 

—汽車?電車ですよね?

 

いや、あの、ディーゼルエンジンで動くので僕らは汽車と言っていました。上に電線が無いんですよ。ひたすら汽車の中ではMDを聞いて、帰ったらギターを弾いてみたいな生活を繰り返していました。

—地元を出たいな、と思っていましたか?

 

大学で広島に行く事になるんですけど、やっぱり地元を離れると地元の良さが分かりましたね。それでも地元を出たら、音楽を一緒にやる仲間がいて、結果的に音楽ができて地元の良さも再確認できたので良かったと思います。

 

—大学の頃のバンド活動は?

 

大学2年の頃に違う大学の方から誘われて、バンドを組んでライブハウスでやったりしてましたね。「ギターボーカル探しているんだけど、やらない?」みたいな話がきたんで、「あ、歌えるんだ・・・やります!」みたいな。それまでが文化祭のためのバンドだったりしたので、それに比べると大学時代は、がっつりバンド活動してたなって思います。

 

—そこからどんな流れで[.que]として活動をすることになったのでしょうか?

 

大学3年の頃に就活があって、バンドやりたいのにできない状況が続いて、音楽やりたいなっていつも思ってて、それ以外でも色々な壁にぶつかってました。就職も決まった頃、ちょうど下北にライブをやりに来ていたんです。そのときディスクユニオンで ent のCDを買って、帰りの車でひたすら聞きましたね。それが本当にかっこ良くて。もし一人になっても音楽できるのかもなって少し思ったんです。それで大阪で就職する事になって、バンドも脱退する事になって、本当に一人になってしまったので、[.que]というソロプロジェクトを始めました。そもそも大阪で就職したのも音楽のためだったんですけど。色々なライブを見に行けますし、色々な繋がりができるかもなと、うっすら期待してました。

 

—最初の頃はどんな制作環境でした?また、どんな活動をしていたのでしょう?

今みたいにパソコンとかを使うんではなくて、MTRを使ってギターを録ったり、歌ったりしてましたね。それをmyspaceに上げてました。その流れで高橋幸宏さんが審査員を務めるmyspace主催のコンテストで賞を頂いたのをきっかけに本格的に曲を作り始めました。その賞を頂いた楽曲が今回のアルバムにも入っている「Springlike」です。その後は、デモアルバムを作ろうと思い立って、自主制作した作品をCD SHOPに置いて頂いたり、ネットレーベルからリリースしたりしてましたね。

 

—そこからSCHOLEにはどのような形で繋がるのですか?

 

ネットレーベルからのリリースの時にPaniyoloさんにリミックスをお願いした事があったり、自主制作の1stアルバムの時には宮谷さんにリミックスをお願いしました。そこから少しずつSCHOLEと繋がりのある方と知り合いになっていきました。その後セカンドアルバムをリリースした後に宮谷さんにライブに誘われて東京に来る事になったんですけど、その次の日あたりにPaniyoloさんが動物園に行きたいから皆で行こう、みたいな計画をたててくれて、その日に小瀬村さんと話して、「SCHOLE HOPE PROJECT」へのお誘いを頂きました。それでその後にアルバムを作りませんか、とお誘いを受けて1年ほどかけて制作したアルバムが「drama」ですね。

 

小瀬村 : 実は、2011年の僕のツアー(京都公演)にキュー君は遊びに来てくれて、公演が終わった後で挨拶をしてくれたので、キュー君のことは覚えていたし、ときどき音楽も聴いていました。初めからなにか引っ掛かるものを感じていたので、もう少し色々と経験していったらきっともっと良くなるだろうなと思っていて。HOPE PROJECTでのやりとりを経て、一緒に何かできそうだなと思ったので声を掛けさせてもらいました。個人的に「sigh」が気に入っていたというのも理由の1つです。

—他の仕事をやりながら活動していたのですか?

 

1stは自主制作で2ndはネットレーベルから出したものをCDにしたので、時間軸で考えると1stの方が後に作られたものなんですけど、その2枚を出した後に仕事をやめましたね。「drama」は今作同様、小瀬村さんに共同プロデュースして頂いて作った作品なんですけど、その制作期間の1年間くらいは本当に音楽しか作ってませんでしたね。

 

—今振り返ると「drama」ってどんな作品ですか?

 

傑作じゃないですかね?笑 自分の大好きなレーベルからのリリースという事もあって気合いも入ってたし、他の人の意見を聞きつつ、相談しながら作った初めてのアルバムですね。正直、制作環境をPCベースにしてから1年ちょっとしか経ってなかったので、不慣れな部分もたくさんあったので、本当に助かりました。

 

小瀬村 : 覚えてる?ぺちぺちのドラム。。。笑

 

あれはひどかったですね。dropsのドラムの音なんですけど、小瀬村さんに差し替えてもらって。今でも音源残ってるんですけど、笑えます。デモ送って、小瀬村さんからOKが出ると本当に嬉しかったですね。

 

小瀬村 : 僕、最初は優しかったよね。笑

 

今回は、本当に苦労しましたよね。笑
まぁそういうやりとりも勉強になったので技術的な面でもですけど、少しずつクライアントワークもくるようになって、仕事で本格的に音楽を作る様になったという意味でもターニングポイントになりましたね。「drama」を作る前に仕事をやめて、リリースした頃から音楽を制作する仕事は少しずつこなしていたのですが、それだけではやっていけずバイトを始めました。それでも徐々に音楽制作の比重が増えていって、去年東京に引っ越すタイミングで音楽制作1本でやっていく覚悟を決めました。仕事で関わる人は東京在住の方が多かったですし、東京で刺激を受けて何か生まれるのではないかと期待もしていました。大阪では実際とても住み心地の良い暮らしをしていて、東京の物件を探すときは家賃高いなと思ったりして、少し離れがたかったのですが、実際東京来て仕事も増えて何とかやっていけているので良かったです。

—前作「Water’s Edge」 をリリースした経緯は?

 

この作品は「drama」をリリースした年内(2013年)に作品としては完成していた作品です。瀬戸内芸術祭や四国でライブをやる機会があって地元の方を訪れて、色々な街を転々としてきましたけど、やっぱり地元の波の音が脳裏に焼き付いていて。その時の衝動にかられて、ツアーの合間に作っていった作品です。やっぱり色々な街を訪れてきたけど、地元ってやっぱり特別で大切なもので、その思いを表現したら「Water’s Edge」になりました。

 

—その後、今回の新作になるわけですけど、早かったですよね。

 

でも作品自体は、2013年にできていた事になるので、2014年はまるまる1年「BRILLIANT HOPES」の制作に使ってますね。

 

—「BRILLIANT HOPES」のタイトルの由来は?

 

今回はアルバムを通してあまり楽曲に統一性を持たせようとか、アルバムとしてのまとまりは意識していなくて、1曲、1曲に個性だったり、思いをのせて、それを集めたアルバムにしようと思ってました。それぞれの曲がキラキラ光輝いていて、それを集めたような、そんなアルバムにしたかったんです。アルバムだから通して聞いてもらう事は考えるけど、それ以上に1曲、1曲の個性を大切に、そこを光らせるような楽曲構成だったりアレンジを小瀬村さんと考えていきました。あとは自分や聞いて頂いた方の心にキラキラと輝く希望みたいなものが残れば良いなという願いを込めています。自分を含めこのアルバムに関わってくれた人、聞いてくれた人全ての人の未来が明るくなれば良いなと。分かりやすいタイトルにしたかったので、そんな願いをストレートにタイトルにしました。

 

—どんな形で制作を進めていったのですか?また作ろうと思ったきっかけとか影響を受けた事があったのですか?

 

影響とかきっかけは特になくて、本当に無から自分の作りたいものを作っていきました。デモができたら小瀬村さんに送って意見をもらって方向性を決めて、後はひたすらブラッシュアップさせていく形になりますね。

—「drama」や「Water’s Edge」は見える景色や音にインスピレーションを受けて制作したと思うのですが、違いますね。

 

色々な経験をしてきた2014年当時の僕が純粋に作りたい音楽は何なのだろう、というのを考えて表現した作品になりますね。

 

—「Water’s Edge」は故郷の景色にインスピレーションを受けたと思うのですが、SCHOLEからのデビュー作「drama」は何かからインスピレーションを受けたり、モチーフがあったのでしょうか?

 

僕は写真が好きなので、自分が撮った写真、誰かが撮った写真に流れている音楽を想像して作った作品ですね。もちろん、今回の作品と「drama」は菊地さんの写真を使っているので、菊地さんの写真も見たりして、自分も含め誰かの日常の色々なシーンで流れたとき、少しドラマチックに景色が映るような、そんなイメージで作りました。「air」とかは飛行機に乗ったときの景色とか写真をイメージして作ってますし、「flora」は桜の写真を見て作ってました。

 

—そう考えると今回の作品は外的要素に影響を受けてそれを元に作品を生み出す流れではないので違いますね。純粋に内面から湧き出るものを表現した形になるかと思うんですけど、どんな事を表現したかったのでしょう?

 

好きなものをただ作っただけですかね。自分の芯となるものを表現したというか。

 

—ただひたすらに自分と向き合って、自分らしさを追求したということですかね。

 

そうですね、何を表現する人でも「自分らしさって何だろう」って考えることあると思うんですけど、今回はそれを追い求めた結果のアルバムですね。
以前に4作品を出した事も自分の経験から生まれた音楽なのですが、少なからず外側から影響受けたり、寄せたりした部分があったので、今回は自分が今までインプットしてきた経験を、「自分らしさ」というフィルターを通して純粋にアウトプットする事に全力を注ぎました。

—「Water’s Edge」はセルフプロデュース作品でしたが、「drama」、「BRILLIANT HOPES」は小瀬村さんが共同プロデューサーとして作品作りに関わっていて、今回は東京に引っ越した事もあってより近くで色々やりとりできたと思うんですけど、実際どうでした?

 

作っていく上で僕がこの部分はレコーディングしたい、とかの希望を予め出して、実際上がったデモを元に小瀬村さんとここはレコーディングしよう、とかここは打ち込みで良いとかの話し合いをしていきました。

 

小瀬村 : 「drama」と「BRILLIANT HOPES」の出発点は最初から少し違ったよね。「drama」は、自主でリリースしていた「sigh」を聴かせてもらって、それを元にできる事を考えて作りました。

 

僕の持っているSCHOLEのイメージに作風も寄せています。

 

小瀬村 : うん、キュー君の感じている「SCHOLE」のイメージに対する回答が「drama」だよね。

 

本当にそうですね。SCHOLEリスナーだった自分が出した答えですね。

 

—そうすると今回はより自分にフォーカスを当てて作ったということでしょうか?

 

小瀬村 : 実は「drama」の時もその事(自分を出していこう!みたいな事)は話していたんだけど、実際のところ、それはあまり出せていなかったと思います。というのも、キュー君自身、かなり気を使っていたのか、とても慎重に作品に取り組んでいたので。ただ、その少し控えめながらも丁寧に作り上げた作風は、結果的に、キュー君を含めた多くの人が漠然と抱いているSCHOLEのイメージに近づくことになって、好意的に受け止められたのかなとも思います。

—それでは「drama」を経て、お互いの人間性や音楽性を理解した上での今作ですが、何か変わったのでしょうか?

 

小瀬村 : 「drama」は結果的に、キュー君がSCHOLEの作風に寄り添うように、丁寧に作り上げた作品だったという話をしましたが、じゃあ、この次はどう進もうか?という話をまず最初にしたんです。そこで最初に出た意見が、もっとバンドに近い音作りをしたい、ということで、でもそれは「drama」では出せなかった部分だったので、では挑戦してみようという話になりました。そしてもう一つ、これは「drama」の良い部分でもあったと思いますが、少し控えめであるが故に、BGMとしてとてもよく機能する、という特徴を、今度の作品では排除していこう、つまり、簡単には聴き流せない音楽を作ろう、という話をしました。それが今回の作品における、最も大きなテーマだったと思います。何か作業をしながらでも心地良く聴ける音楽ではなくて、その音楽を流すと、音楽が気になってしまって他のことが手に付かなくなるような、そんな引き込まれる音楽を作ろうという話を常にしていました。

 

メロディとか、アレンジとか、聞かせ方をたくさん考えましたよね。

 

—今までの作品も十分メロディアスだとは思うのですが、今回よりそこに力をいれたと?

 

小瀬村 : そうですね。インプロヴィゼーションを可能な限り排除していって、ひとつひとつの音色やメロディー、和声を精査していきました。

 

元々バンドやってた人間がエレクトロニカとかアコースティックの音楽をミックスしていったのが[.que]なので、その良さをどう出すか、生音と打ち込みの良さをどうミックスしていくかというのが1つのテーマでしたね。

 

小瀬村 : そもそも、いまの時代、誰かが作っている音楽に、本当の意味での完全なオリジナリティーと言えるようなものはあるはずがなくて、音楽を作る作業というのは、あくまで個々人がこれまでに聴いてきた音楽の蓄積を引き出しにして、知識と発想、そして閃きを掛け合わせて形作っていくものなので、今回の作品を作り上げていく上でも、特に編曲作業においては道筋となるような、リファレンスとなる音楽の形というのがいくつかありました。それらを二人で共有しながら、今回の作品でいえば、バンド的なサウンドを「drama」の音楽と掛け合わせて、いままで以上に精査し考え抜いたメロディー、音色、和声で楽曲を構築していく、そうして完成する音楽のイメージというのがありました。ただ、限られた時間のなかで作るものがアルバムなので、もちろんまだまだやりきれていない部分もあります。

 

—編曲の事や方向性を一緒に考えてくれる存在(小瀬村さん)がいるのは大きいでしょうね。

 

大きいですね。。。

 

—今回は、ゲストミュージシャンの方が何名か参加してくれていますが、なぜ参加して頂いたのですか?

今回ゲストドラマーとして参加して頂いた水口さんはLOOPPOOLってバンドのドラマーなんですけど、作品を聞いたときにとてもかっこいいドラムだなと思って、いつか一緒にできたらと思っていました。最高のグルーヴを曲にもたらしてくれました。

 

小瀬村 : 生で叩いてもらうと打ち込みとは違って、コンマ何秒かのズレが必ず生じてくるから、そのズレとか、叩き方の強弱の波がグルーヴを生む事になると思うんですけど、打ち込みでそれを再現するのは相当大変というか、実際のところ、無理なんじゃないかな。やっぱり実際に叩くことでのドラムの良さというものがあるし、逆に打ち込みの良さもあるから、それを見極めて曲ごとにうまく使い分けていくというのも今回のポイントではあったよね。正確に刻むビートと水口さんの叩く微妙なズレのある(良い意味で)ビートとの使い分け、組み合わせは難しかったよね。

 

とても不安でしたね。どうなるか予測がつかなかったし、馴染まなかったらどうしようとか、ズレてしまうのではないか、とか。まぁでも結果的に録って良かったと思いますね。

 

小瀬村 : それについては、井口さん(サウンドエンジニア)の力が大きいよね。ドラムのレコーディングってかなり難しいと思うし、ただ綺麗に録れば良いってわけじゃなくて、打ち込みの音色との合わせ方も今回の難題だったから。初めにどういう音で録っておくと、後で手をかけ易いかということをきっと考えてくれていたと思う。

 

—なるほど、レコーディング前からエンジニアさんとはどう録るかって事を決めておいたんですね。

 

事前に楽曲を渡して、こちらの希望は全て伝えた段階でレコーディングは行いました。そのあとのMIX、マスタリングも立ち会わせてもらって、常に確認しつつ進めていきました。

 

—井口さんは小瀬村さんの作品にも関わっていると思うのですが、もうSCHOLEには欠かせない存在ですね。

 

小瀬村 : そうですね。井口さんは忙しい方で、海外に長期間行ってしまう事もしばしばあるので、本当に、最近の作品は全て井口さんのスケジュールに合わせて締め切りを決めるくらい、僕らの作品には欠かせない存在ですね。

 

—その他の方々はどういった経緯で参加して頂いたのでしょう?

 

そもそもこれまでの4年間でお世話になった人というか、僕にとって大切な人に声をかけさせて頂こうと思ってました。ノイズさん(affable noise)はバンド時代からの仲ですし、まだ共に音楽をやっているので何か一緒に作ってみたかったんです。Petitotoさんは、totokokoレーベルからリリースした時に知り合いになったのをきっかけに今回参加して頂きました。unmoさんは、「drama」で僕の大切な曲を歌ってもらいましたので、自然と今回も参加して頂こうと思いました。

—アートワークや写真は今回、菊地さんが担当していますが、それについてお聞かせ願いますか?

 

菊地 : 僕とキュー君が初めて一緒に作品を作ったのが「SCHOLE HOPE PROJECT」の時で、その時の写真が自分ではとても気に入っていて、今回のタイトルにHOPEって文字が入っているという事を知った時に、少し似通った雰囲気を出したいなと思ってました。アルバムのコンセプトや、内容を聞いたときに、キュー君がこれまで磨いてきた結晶を集めたようなイメージを持ったのでシーグラスを使う事に決めました。ガラスが時間をかけて波によって削られて、磨かれてゆく。ちょうど前作も波だったり海にまつわるアルバムだったのでちょうど良いかなと思ったりもしました。それでまずシーグラスを集めなければと思っている時に、キュー君から「菊地さん、シーグラス撮ってみたらどうですかね?」と提案が出たときには本当に驚きました。

 

シーグラスは昔から拾うのが好きで、キラキラしてて良いなって単純に思っただけなんですけど、時間をかけて磨かれた結晶を集めるってなんか良いですね!笑

 

—これだー!って顔してましたよ。笑 そして今回は[.que]君の敬愛するアーティストからコメントも頂いていますね。

 

ストレイテナーのホリエさんは、僕が[.que]として活動してするきっかけをくれたような方ですし、元々大ファンだったので夢みたいでした。the telephones のノブさんは音楽も、人としても尊敬できますし、僕の音楽を聞いてくれて、ライブにも誘ってくれるし、来てくれるという、感謝してもしたりないくらいの方ですね。

—多くの人が参加して完成した作品になってると思うんですけど、リリースした今の感想は?

 

まだまだやりたい事はありますし、既に試したい事がたくさんありますけど、とりあえずこれまでの経験を集めて、それを元に今の自分が全力で作ったアルバムになったと思います。

 

小瀬村 : 個人的には、初めに目指していた完成型というのは、もう少し別の場所にあったと思います。例えば、あと1年あれば、もしかしたらそこに辿り着けたのかもしれませんが、作品を作る上で、一定の区切りのなかで作り上げるということはとても大切なことで、キュー君自身も言ったように「今」だからこそ出せる音、というのが、その時々に必ずあるので、今作においても、それをちゃんと作品のなかに収めることが出来たと思います。

 

—今後の展望はどうでしょう?

 

とりあえずは、今作をベースに、バンドっぽくしていくと思いますし、それに合わせて歌もいれたりと、分かりやすくしていこうと思います。ライブ形体もツアーなんかをやっていく上で同じように変化していくと思います。

 

—ありがとうございました。

Discography

[.que] / BRILLIANT HOPES RELEASE TOUR 2015

大阪公演

5月9日(土) 大阪細野ビルヂング


名古屋公演

5月23日(土) 名古屋K.Dハポン

open / 17:30 start / 18:00
前売り:2,500円 / 当日:3,000円(1drink別)


京都公演

5月24日(日) 京都UrBANGUILD
open / 17:30 start / 18:00
前売り:2,500円 / 当日:3,000円(1drink別)


広島公演

6月13日(土) 広島ヲルガン座
open / 17:30 start / 18:00
前売り:2,000円 / 当日:2,500円(+ 1order)

神戸公演

6月14日(日)神戸space eauuu
17:30open / 18:00start
前売り:2,500円 / 当日:2,800円(1drink込)


埼玉公演

7月12日(日):埼玉ヒソミネ
ヒソミネ × 2.5D

※詳細後日発表


東京公演 ( TOUR FINAL)
2015.7.20 (mon) at SHIBUYA 7th FLOOR

open 18:30 / start 19:00
adv 3,000 / day 3,500 (+1drink)

チケット予約方法・公演詳細はこちら↓

http://que-music.net/bhrt

[.que] / BRILLIANT HOPES スペシャルサイトはこちら↓

http://schole-inc.com/?page_id=23438